こんにちは
>現象面は逆さまに映るということはブログで何度かお書きに
>なっていますが、でも、普通はそう見えません。具体的な場面で
>分かりやすく解説頂けますか?
これは私だけが言うのではないんだ。
マスターなら誰しも言うんだよ。
逆さまから抜け出したものをマスターというからなんだ。
だから悟りを覚醒とか目覚めとも言うんだ。
具体的に言うよ。
今自分と思っているものは鏡に写った映像のようなものなんだ。
自分は決して対象として認識できないもんなんだ。
対象を認識すると分離が現れ世界が現れ個人としての
自分が現れるけれどこれは認識という働きの特長なんだ。
寝てみる夢の中でも世界の中に自分がいるように
夢を見るだろう、対象を認識すると言うことは
世界を認識するということであり認識すれば
世界として分離が見えるんだ。
だから対象として認識されたものは実体がないという特徴を
持っていて認識出来ないものが実体なんだ。
ここで見てごらん世界という実体だと見えているものは
その実なにも実体のない夢のようなもので
なにもないと思えるものが実体なんだ。
悟りとは現実が悲現実になり悲現実が現実となることをいうんだ。
無と有が逆さまで天地逆さまだろ。
自分も逆さまで天地も逆さまだから人の目には
ものが逆さまに見えて苦楽も逆さまで幸せの得かたも逆さまで
一切が逆さまに見えるんだ。
実体の無い世界が有るように見えて
実体である神が無いように見えて
個人など無いのにあるように見て
個人個人の幸せ追求してぶつかりあって
人生に失望したり無常を感じて悟りを求めるけれど
その悟りさえ始めの段階では個人の欲望の追求で不純なもんなんだけれど
様々な教えにであってだんだん心は浄化され
純粋になって行くんだ。
悟りは個人的な欲望で求めているうちは決して
与えられるようなものではないんだ。
その者に悟り与えることが一切にとって必要なときに
与えられるもんなんだ。
だから誰しもマスターは人を救おうとするんだよ。
悟り与えられる前からそうなんだだから与えられるんだ。
世界が個人の思うようにならないのは
全体の思うようになっているからなんだ。
話しは翔んじゃったけれど
人はほおっておくと破滅に向かい
世界はほおっておくと破滅に向かうんだ
これは逆さまに見えているからなんだ。
だから神は人の形して様々な時代にマスターとして
現れて人が間違わないように教えを説くんだよ。
貴方が一切の救い望むなら神は貴方にそれが必要なら
その瞬間までに悟りをあたえられて一切のためによりいっそう
働くことになるけれどそれはもうあなたではなく
貴方にからだ使って神が働くんだ。
マスターはマスターになった瞬間から神なんだ。
悟りを与えられるためには純粋になることなんだ。
- ひとのこ
- 2017/02/12 (Sun) 17:16:02